2018/10/05

町家は日本の宝


by 祗園で工務店を営んでいる内藤朋博

私の家系は大工の家系でして工務店の五代目でもあり、また昨年ですが会社を設立しましたので、代表でもあります。私達は京都の町家に携わっており町家を通して建築を学んでおります。

町家の歴史は平安時代から存在していて通りに面し、隣家と接合しあい建っており、また間口も2~3間と狭く奥行きも4間程のほんとに小さな家が連なってできた庶民の都市住宅でありました。近世初期の鎌倉時代においても同じ間口で建ち並んでいて今日の京都の町家の間口がその当時からの間口を引き継いでいる事となります。京町家については表ノ間での商いや表・奥ノ間で仕事をする場としての店が作られて、町家は本来、職住が一致した店舗併用の都市住宅でありました。

昨今の京町家のブームの背景には観光客の増加に伴い空き家を活用した町家のゲストハウス化であったり、町家の存在価値からの投資事業として扱われているのが現状です。
町家の本来の職住である姿からはかけ離れてはおりますが、現在に存在している町家が今日に残せるのは確かなことなのですが、未来の京都に引き渡せる町家として考えると課題がたくさんあると思います。

町家の存在意義を作り手である私が感じることは〝町家は日本の宝″だと確信しています。現在における日本の文化のほぼ全てを、町家を通して知れるはずだとも思います。
茶道・着物・工芸その他様々な伝統文化がある限り町家がそれらの空間に必要不可欠な存在であり、建築は町家・庭・数寄屋と自然と大きくかかわる作事が必要な存在です。
全てにおいての職人達が文化を守り、その文化があるお蔭で京都が存在しているのではないかと感じます。

将来の光輝く美しい京都を想うといま私達、作事方や祗園内藤工務店が出来ることをこれからブログを通して紹介させて頂きたいと思います。

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