昨今某ゲームから日本刀ブームが来ているというが、物に神様が宿るというつくも神のように、何かを擬人化するのが日本人は好きだと思う。
刀が美しい個性を放つ人であるかのように展示ケースの前で波紋のきらめきにため息をつきながら鑑賞する。
かくいう私もその一人である。(ゲームは詳しくないが…。)
私は刀の装飾も去ることながら、最も心惹かれるのは、抜き身の刀身そのものである。
飾ることなく、これ以上何かを引きようもない、その姿に美しさはもちろん、畏怖のようなものも感じる。
古来斬るものの役割ではなく、祭祀ごとに使われた刀は、それ自体が存在することに価値を見出だされている。
刀は鍛冶師の手によって産み出されるが、その作業行程の中でも、重要なのが鍛練という作業である。
叩く、折る。その繰り返し。
叩いて不純物を出す。
また折り返し、更に鍛える。
繰り返す同じ作業に見えて、微妙に違う。
手応えや色、経験から学んだ鍛冶師の技であろうか。
その火花が飛び散る様は美しく、
鍛冶場に響いて染み渡る音も、尊い波動を産み出し続ける。
それを見るにつけ、感じるにつけ、人生のようだと感じる。
自分の人生の幸福度をより追求するには、自分の純度を高める必要があるらしい。
それは、自分自身を知らずしてできることではないようだ。
今の自分に付け加えるのではなく、自分の不純物を取り除くことで、本来の自分が見えて来る。あの玉鋼を鍛えるように。
何度も打診するのだ、自らに。
何が、余計なものなのか。
何が、自分ではないものか。
それらを取り除き、これ以上引きようもなくなったとき。
そこからが本来の自分だけの持つ輝きを形成し得る、始まりなのだ。
半導体の世界で、純度の高いものをイレブンナインと呼ぶ。
99.99999999999%
コンマの後に9が11並ぶ、限り無く100%に近い純度。
わたしたちは人間であり、完璧である必要はない。
だが、刀身を前にするにつけ、この様に在りたいと、魂のどこかが震えるのではないだろうか。
抜き身の刀身の微細な波動が、この細胞に伝わっている、そう感じるのだ。
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ヒカリ
京都在住。文筆及び「天空羽衣プロダクツ」服飾クリエイター。ライフスタイルアートが好き。
この春京都市内「PINT」さんにて、初の全て手縫いで仕立てた服飾の展示会を企画中。
Instagram: lightsoundsworks
FB: Light Sounds Works
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