2019/05/01

Life style artist Ⅱ


前回「Life style artist」という題名で書かせていただいた。日常生活の中の一つ一つのactionに自分の表現を乗せることは、artである、と書いたのだが、今回はそのpartⅡということで書きたいと思う。

生活の中のactionというのは、実に様々で、仕事、家事、趣味、人とのやり取りなどなど、挙げればキリがない。来る日も来る日もやりたくて仕方のない仕事や家事の連続であれば言うことはないのだが、正直そうではない(少なくとも私は…)。苦手だなぁと思う人に緊張しながら会い、面倒だなぁと思いながら用事を片付け、誰かの言葉や行動にがっかりしたり、またそういう自分にブルーになることもある。
日々をそれらのことだけに埋没させずartへと展開させられたらと思うのだが、そのためにやっていることがあるので紹介したい。

例えば苦手なだなぁと思う人に会うとする。その時のアタマの中は、「○○さんに会わなければいけない」だ。それにくっつくように「○○さんは苦手、だって○○さんは△△だからなぁ、早く終わればいいのに…、とにかく笑顔を作って…」など、決定打にならない、もやもやした断片だけが浮かんでは消え、放っておいたら際限なく続く。このとき意識のベクトルは外へ外へと走っていっている。もうartどころではない。
このような状態で○○さんに会う。当然表情は固く肩に力が入るので、落ち着いた態度を取れるはずもなく、集中力も散漫で、肝心の要件も散々な結果、という最悪の事態も起こり得る。

とりあえず走っているベクトルを一旦止めることが必須だが、それには「今、自分のベクトルが外へ向かって走っている!ということに気づく」ことが第一歩。シンプルなことだが、意識が外へ走っている最中は、頭がいっぱいになっているので、気づくことが難しい。「我に返る」という言葉があるが、気づくことは我に返ること、リセットと同じ感覚かと思う。そして呼吸に意識を向ける。自分のカラダに戻っていく感覚だろうか。これだけでも効果はあって、カラダが緊張していることに気づき、呼吸が落ち着き始める。

次に「○○さんに会わなければいけない」の「○○さん」を一旦保留にする。ここで「○○さんは、実は良い人なんだ、苦手意識を持つ自分の方に問題があるのだ」などと無理やり自分に思い込ませたりしないのがポイント。
わたしは人に会うが、「どんなふうに会いたいのか?」と自分に聞いてみる。どうせ誰かに会うなら、楽しく会いたい、出来たら楽しい時間、心地良い時間を過ごしたい、と思う自分の方に意識を向ける。自分への問いかけは「どんな自分で在りたい?」など出来るだけシンプルなほうが良い。これはMindfulnessの手法になるかと思う。

今ここに「ただ心地良い時間を過ごしたいと思っている自分がいる」ということにフォーカスする。アタマに浮かんでは消えていた思いの断片は静まり、そうするとカラダの方も随分緩んでくる。心地良い時間のためのactionはどのようにしようか、それにはどんな表現が良いだろうか、と展開していく。あとは素直に、そしてartisticに表現しよう。表現したものの、○○さんに会った結果うまくいかなかったとしても、心地良い時間を過ごしたいと思って表現した自分はそこにいる。

繰り返しになるが「○○さんは苦手」の部分は手を着けない。そこを変えたいと思いがちだが、問題視してなんとかしなければならないなどと負荷をかけると、意識が「○○さんが苦手な自分を変える」という方向に迷走していき、自分の本当の願いや在り様から離れていってしまう。あくまでわたしの場合だが、負荷をかけて、たまたま上手くいったとしても、後には疲労感が待っており継続は難しいと思われる。

「心地良い時間を過ごしたい」の部分は、人によって様々だと思う。日によっては「静かで落ち着いた自分でいたい」になるかもしれないし、その時々の状況によっても変わってくるだろう。「~しなければならない」の奥にある「今ここにいるわたしはこう在りたい」の声に耳を傾ける。
その声は、純度の高いartの芽なのだ。

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