窓ガラスに、勢いを持った小鳥が激突し、落下したのを見たことがある。
それは、ガツッと嫌な音を伴った。
あのスピードでは、ガラスという物体があることを、当たる直前まで認識出来なかったのではないかと推測する。
何が悪いということではなく、去った昭和、平成という時代にはよくあったことだと思う。
私は昔の、いわゆる歪みガラスが好きで、手の出る値段なら求める。
できるなら昔のやり方を、効率が悪く粗悪品だとしても、復刻して欲しいと願う一人だ。
京都では、文化財でなくても古い町屋などに、歪みガラスがはめ込まれている。
そのゆらぎの向こうに見える景色や庭は、透明なのに少し色調補正がかかっているみたいで、趣があるものだ。
建具のことを知る人に聞いたが、その歪みがあるから、光が屈折して、余分な光が入りすぎないんだよ、と言うことだ。
品質管理の元、均一な製品を低コストで作るのも、それを求める人にとっては良いだろう。
だが、歪みや泡の入った板ガラスを求める人もいる。
正しい間違いではない。
自分はどう感じるか、が重要だ。
私は後者が好きで美しいと感じるし、前者も壊れにくくコスパが良いので、使いたいと思う。
少なくとも鳥にとっては、全力で飛んでも、歪んだガラスの方が認識しやすいように感じる。
だからゆがんでいるせいで、どこかの誰かの美意識や価値観や条件に合わなかったからと言って、気にする必要はない。
その歪みのおかげで、知らずに助かっている人や物ごとが、この世界にはあるのだ。
そのゆらぎを愛する人もいるのだ。
ヒカリ
京都在住。文筆及び「天空羽衣プロダクツ」服飾クリエイター。ライフスタイルアートが好き。
この春京都市内「PINT」さんにて、初の全て手縫いで仕立てた服飾の展示会と、手縫いのワークショップを開催。
http://lightsounds.thebase.in
Instagram: lightsoundsworks
FB: Light Sounds Works
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